一景入魂

一景入魂

感じたヒト・モノ・コトをフォトで伝えます

すべての出会いと経験に感謝!!

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地域おこし協力隊の任期が終了しました。

 

私は大学を休学し、2016年5月9日から3年間、岐阜県関市上之保に住み、協力隊をしてきました。

 

就職の関係で2019年2月27日にちょっと早く任期を終えました。

 

3年間でたくさんの方々と出会い、たくさんの経験をしたり、たくさん悩んだり、新聞社に就職という大きな選択をしたり…


今振り返ると、自分を成長させてくれ、自分がやりたいことを見つけさせてくれた、3年間でした。

 

大学時代までやりたいことが見つからず、大人になれればいいや、としか思っていなかった自分。

 

人と違うことをしたい、という安易な気持ちで協力隊になり、地域の方々から話を聞いて、記事にし、写真を撮って、SNSやブログで発信をする、ことがすごく楽しくて、やりがいを感じ、仕事にしたい、と思い、新聞社のカメラマンの道を選ぶことができました。

 

社会人を経験する前に協力隊になったので、経験不足だと感じたり、技量のなさを感じたりすることが多々ありました。

 

その時支えて下さった地域の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。


初めから「よー来たな」と受け入れて下さり、ごはんをご馳走になったり、相談にのってもらったり…

 

ほんと上之保に来れて、上之保の地域の方々に出会えて、上之保の協力隊として活動できて、本当によかったです。

 

任期が終わった、3月には、4回も宴会に誘ってもらったり、何度か泊めてもらったり、していて、より、地域との繋がりを感じています。

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率直な思いを走り書きしたような文章になってしまいましたが、いまの私の思いです。

 

3年間協力隊をやれたのも、新聞社のカメラマンという道を選べたのも、いま、任期が終わってからも地域の方々と関われてるのも、すべて、協力隊3年間で出会った全ての方々のおかげです。

 

また、関市に来て、鉄道好きのメンバーと鉄旅に行きました。上之保協力隊をしたことで私のことを知ってもらい、協力隊とは違った関わりができたことも関市にきて、上之保にこれてよかったな、と思います。

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今後は、名古屋に住みますが、記者として、そして、自分をリセットしにいつでも帰って来られる場所として関わっていきたいと思っています。

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全ての出会いと経験に感謝!!

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

 

青春18切符旅~釜石-気仙沼-福島~

前回のブログで、釜石市を快速 はまゆり号で出会った女性とご実家の方に案内頂いた場所とその場所で感じたことを書きました。

その晩は、ご厚意に甘えて、出会った女性のご実家に宿泊させて頂きましたm(__)m

 

今回は、朝、釜石市を出発して三陸鉄道気仙沼線などを乗り継ぎ、気仙沼や、仙台へ行き、最後に常磐線を通り、震災の被害が大きかった地域を中心に18切符で見てきました。

 

釜石から三陸鉄道に乗り、盛へ

 

車両が第22回三鉄つばきまつり号でした。

ツバキの花があちらこちらに=2019年3月 三陸鉄道車内で

ツバキの花があちらこちらに=2019年3月 三陸鉄道車内で

車内全体にツバキの花が装飾されていました。

三鉄の心意気を感じました。

 

盛から、大船渡線気仙沼線を走るBRTに乗車

盛からBRT(左)に乗車=2019年3月 盛駅で

盛からBRT(左)に乗車=2019年3月 盛駅

この路線は、震災で甚大な被害を受け、列車走行ができなくなり、今後のことも考え、専用軌道をバスが運行しています。

 

大船渡線から気仙沼線を乗り継いで陸前階上へ。

列車の陸前階上駅がそのまま残っていた=2019年3月 陸前階上駅で

列車の陸前階上駅がそのまま残っていた=2019年3月 陸前階上駅で

陸前階上駅から、徒歩で、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館へ。

ここは、震災当日まで宮城県気仙沼市向洋高校に利用されていた建物に伝承館を付け加え、被害のすさまじさを伝える施設です。

校舎内に車が入り込んでいた=2019年3月 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館で

校舎内に車が入り込んでいた=2019年3月 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館で

教科書類が学びの場であったことを証明する=2019年3月 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館で

教科書類が学びの場であったことを証明する=2019年3月 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館で

剥がれ落ちた天井や、折り重なった車、散らばった教科書…
これらは、8年前まで学び舎だった、という証。

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想像を絶する津波の恐ろしさを知ることができました。被災者にとっては辛いと思いますが、伝承館として残して下さっているおかげで、私たちも津波の恐ろしさを目にすることができます。気仙沼市に感謝です。

 

陸前階上駅から再びBRTに乗車し、前谷地駅へ。

前谷地駅からようやく列車に乗車できた=2019年3月 前谷地駅で

前谷地駅からようやく列車に乗車できた=2019年3月 前谷地駅

この日は、仙台に宿泊し、翌日福島県沿岸部を通る、常磐線へ。

車内から見る朝日は美しかった=2019年3月 常磐線車内で

車内から見る朝日は美しかった=2019年3月 常磐線車内で

通学時間帯ということもあり、学生の姿があった=2019年3月 原ノ町駅で

通学時間帯ということもあり、学生の姿があった=2019年3月 原ノ町駅

原ノ町駅で乗り換え、代行バスが発着する浪江駅へ

発車を待つ列車代行バス=2019年3月 浪江駅で

発車を待つ列車代行バス=2019年3月 浪江駅で

 発車すると、

「この先は放射線濃度が高い帰還困難区域のすぐ近くを通ります。窓を開けることを厳禁といたします」

との旨の放送が入りました。

草が生い茂るコンビニ=2019年3月 列車代行バス内で

草が生い茂るコンビニ=2019年3月 列車代行バス内で

バスが走るすぐ横は帰還困難区域=2019年3月 列車代行バス内で

バスが走るすぐ横は帰還困難区域=2019年3月 列車代行バス内で

浪江駅から30分ほどで富岡駅に到着。

 

バス車内から見える、あちこちにあるシーベルト値を表示する機械や、草が生えてしまった民家や小売店
確かに8年前まで生活の営みがあったことを強く感じました。

 

このバスが通る左側に建てられた柵の向こう側は、帰宅困難地域だということ。
道路を挟むか挟まないかで、家に戻れるか戻れないかが決まります。


その状況下でも外で警備している方が見えました。


富岡駅に着く手前には道路を歩く人やお店があり、普通の生活がありました。

 

復興工事中の富岡駅=2019年3月 富岡駅で

復興工事中の富岡駅=2019年3月 富岡駅で

被災地に訪問して、新しい建物ばかりの場所や、重機しかない場所、立ち入ることさえ許されない場所…


場所によって状況は様々でした。しかし、確かにここで、たくさんの人の生活の営みがあり、たくさんの想い出が詰まっている地域だということ、を凄く感じました。

 

東海地区では、ほとんど震災関連のニュースは見かけません。

 

実際に訪問すると、あちこちで重機を使って道路や土地の整備をしている人、

防波堤の建設をしている様子、

仮設住宅に住んでいる人、

残されたままの廃線となった線路や鉄道施設、

写真の洗浄を行なっている団体が洗浄が終わった写真を持ち主に戻す活動を行なっていること、

放射線量が高く帰宅困難地域があること、など、


まだまだ震災は終わっておわってはいませんが、そこから、前向きに懸命に復興に向けて頑張っている日本人の底力を強く感じました。

 

18切符旅の行程

◆1日目

 岐阜-豊橋-浜松-興津-熱海-東京-上野-亀有-第一日立湯-亀有-柏-友人と合流-土浦-水戸

◆2日目

 水戸-(水郡線)-郡山-福島-仙台-小牛田-一ノ関-人身事故のため、六原にて待機-盛岡-

 岩手飯岡

◆3日目

 岩手飯岡-盛岡-快速はまゆり-小佐野
  震災関連施設等見学
   新華園にてもずくラーメン-城山公園-文化センター-等

◆4日目

 小佐野-釜石-(三陸鉄道)-盛-(BRT)-気仙沼-(BRT)-陸前階上-

 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館-陸前階上-(BRT)-本吉-(BRT)-前谷地-小牛田-長町-

 鶴の湯-長町-(仙台市営地下鉄)-仙台

◆5日目

 仙台-原ノ町-浪江-(列車代行バス)-富岡-いわき-水戸-土浦-新宿-国府津-熱海-沼津-豊橋-

 岐阜

青春18切符旅~釜石市&大槌町~

18切符で旅行中、列車内で釜石に帰省中の女性と出会いました。そのご縁で、釜石や、大槌町など、震災で被害が大きかった地区などを案内して下さいました。

 

撮った写真を紹介しながら、その時感じたことを書きたいと思います。

 

まずは、めかぶラーメンで腹ごしらえ。

ワカメやめかぶで見えませんが、釜石ラーメンと呼ばれ、細麺が特徴。素麺のようにツルッとのどを通り、食べやすかった=2019年3月 新華園で

ワカメやめかぶで見えませんが、釜石ラーメンと呼ばれ、細麺が特徴。素麺のようにツルッとのどを通り、食べやすかった=2019年3月 新華園で

 

 

次に、1週間前に開通したばかりの三陸自動車道に乗り、大鎚方面へ。

開通した釜石自動車道=車内より

開通した釜石自動車道=車内より

大槌地区が一望できる城山公園。

確かに家が密集し、大勢の人々が生活していた=2019年3月 城山公園で

確かに家が密集し、大勢の人々が生活していた=2019年3月 城山公園で

8年前まで密集した家々があり、大勢の人が生活していた。

城山公園からの眺め。中央には開業を1週間後に迫った三陸鉄道が試運転している。=2019年3月 城山公園で

城山公園からの眺め。中央には開業を1週間後に迫った三陸鉄道が試運転している。=2019年3月 城山公園で

大鎚町文化交流センターへ。

付箋の数だけ想い出が詰まっている=2019年3月 大槌町文化交流センターで

付箋の数だけ想い出が詰まっている=2019年3月 大槌町文化交流センターで

センター内に、大鎚町の模型があり、家には住んでいた人の名前が、道や堤防などには、想い出が書かれていました。

堤防には「中学生のカップルがいました」と書かれていた=2019年3月 大槌町文化交流センターで

堤防には「中学生のカップルがいました」と書かれていた=2019年3月 大槌町文化交流センターで

 

センター周辺は、工事中か、家やお店、道路…何もかもが新しい。

 

町は、津波で甚大な被害を受けた場所にあえて公共施設を建て、人が住まないようにしているそう。

 

建設中の防波堤や、

 

町の所々に高台へ逃げる避難ルートを示す看板がありました。

震災後に整備された高台へ続く道=2019年3月 釜石市鵜住居町で

震災後に整備された高台へ続く道=2019年3月 釜石市鵜住居町で

建設中の釜石鵜住居復興スタジアムへ。

ラグビーワールドカップが開催される、釜石鵜住居復興スタジアム

ラグビーワールドカップが開催される、釜石鵜住居復興スタジアム

ここで今年、ワールドカップラグビーの試合が行われます。

客席より=2019年3月 釜石鵜住居復興スタジアムで

客席より=2019年3月 釜石鵜住居復興スタジアムで

半日、釜石市を訪問して、震災や津波によって多くの命と想い出が失われてしまいましたが、そこから前向きに復興しようとする住んでいる人々や地域、国の力を強く感じました。

 

また、地元の方が、地元を大切に思う気持ちの強さを感じました。

 

 

 

つづく・・・

 

全国各地からお越し下さった一人一人に感謝! @上之保水害

7月8日(日)、連日にわたって降り続いた豪雨の影響で津保川が氾濫し、上之保地域では、292軒(7月12日20時時点)が床上床下浸水被害や、車が400m近く流される、道路のアスファルトが剝がれるなどの被害を受けました。

 

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7月9日(月)から続いた、上之保老人福祉センター前でのボランティア受付は、7月20日(金)を以って、終了しました。

 

日本全国から駆け付けて下さった、たくさんの方々と出会い、協力し合いながらミッションを成し遂げていく。

 

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不謹慎かもしれませんが、正直・・・

 

楽しかったな~

 

全国各地から来てくださった方や、

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被災されたご家族や親戚の方などとお話ししたり、

 

床下に流れ込んだ泥を出す、床下潜りなど、

 

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たくさん刺激を受け、いろいろな経験をさせて頂いた2週間でした。

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お越し下さった方の一人一人に感謝!!

 

上之保は水害当時、絶望な思いに包まれましたが、皆様のおかげで、勇気と希望に変わりました!!!

 

前を向いて少しずつ復旧から復興に向けてがんばっていきます!

 

がんばるぜ上之保!

 

記事・写真:関市地域おこし協力隊 田中利弥

 

私が経験した水害 @平成30年 津保川水害

7月8日、降り続いた豪雨の影響で岐阜県関市を流れる津保川が氾濫し、関市富野地区から上之保地区にかけて936軒(出典:関市HP・H30年 7月12日時点)が床上・床下浸水する被害に遭いました。

 

私は、連続でワイパーを動かさないと前が見えないほど、強い雨が降る中クルマを走らせ、

 

深夜1時~2時頃、実家がある岐阜市内で不謹慎ながら、増水する長良川や水門を閉じた長良橋などを撮影しました。

 

橋桁を覆うほど水位が上がった長良橋

橋桁を覆うほど水位が上がった長良橋=8日0時34分長良橋付近の堤防で

 

長良橋水門閉鎖

市街地への水の流入を防ぐため水門を閉じた長良橋=8日1時11分、長良丘1交差点で

橋桁を覆うほど水位が上がった忠節橋

橋桁を覆うほど水位が上がった忠節橋①=8日2時2分忠節橋付近堤防で

橋桁を覆うほど水位が上がった忠節橋②

橋桁を覆うほど水位が上がった忠節橋②=8日2時2分忠節橋付近歩道橋で

 

その後、現在住んでいる関市上之保に向かって車で走りました。

 

 

午前3時半頃、関市神野地区にある、可児自動車を過ぎた辺りに差し掛かったとき、道路の片側車線が浸水していました。

 

 場所はこちら。

www.google.co.jp

 

水位が低かったので、通り過ぎようとしたら、進むにつれて深くなっていきました。

 

「これ以上進むと動けなくなる」と思い、引き返して、まだ浸水していない空き地に車を止めました。

 

片側車線のみが浸水している=8日3時40分頃関市神野・下日立地区で

片側車線のみが浸水している=8日3時40分頃関市神野・下日立地区で

 

30分後、道路は水没し、辺りは川と化しまった。

 

水没した道路=8日3時49分関市神野・下日立地区で

水没した道路=8日3時49分関市神野・下日立地区で

バス停手前にある消防車庫まで迫る水=8日3時54分関市神野・下日立地区で

バス停手前にある消防車庫まで迫る水=8日3時54分関市神野・下日立地区で

 

徐々に水位が上がり・・・

消防車庫まで迫る水=8日4時3分関市神野・下日立地区で

消防車庫まで迫る水=8日4時3分関市神野・下日立地区で

 

水没したバス停=8日4時4分関市神野・下日立地区で

水没したバス停=8日4時4分関市神野・下日立地区で

 

バス停奥にある、道路は立ち入るのが危険なほど濁流が押し寄せています。

  

完全に水没=8日4時14分関市神野・下日立地区で

完全に水没=8日4時14分関市神野・下日立地区で

完全に川と化した下日立地区=8日4時40分関市神野・下日立地区で

完全に川と化した下日立地区=8日4時40分関市神野・下日立地区で

 

車が心配になり、浸水していない裏道を探して、車を見たらドアの下ギリギリまで浸かっていました。少し高いところに移動させ、なんとか水没を免れることができました。

 

 

ちなみに私の車は、左端の水色の車です。

 

目の前を見ると・・・

家屋の前を濁流が押し寄せている=8日5時3分関市神野・下日立地区で

家屋の前を濁流が押し寄せている=8日5時3分関市神野・下日立地区で

 

5時半頃、水は徐々に引きいていきました。

 

様子を見る地元住民=8日5時34分関市神野・下日立地区で

様子を見る地元住民=8日5時34分関市神野・下日立地区で


辺りを見回すと、道端に流れた泥を水で流す人や、

 

道端の泥を流す住民=8日6時12分関市神野・下日立地区で

道端の泥を流す住民=8日6時12分関市神野・下日立地区で

消火栓から水を出し、ホースで泥を流す住民=8日6時13分関市神野・下日立地区で

消火栓から水を出し、ホースで泥を流す住民=8日6時13分関市神野・下日立地区で

 

道路には、普段はあるはずのないお店の看板があったり、農業用のビニールシートが街路樹に引かかっていたりしていました。

 

水が引いた後の関市神野地区=8日6時15分関市神野・下日立地区で

水が引いた後の関市神野地区=8日6時15分関市神野・下日立地区で

上の写真の反対側車線から・・・

畑だったと思われる場所が水没している=8日6時15分関市神野・下日立地区で

畑だったと思われる場所が水没している=8日6時15分関市神野・下日立地区で

 

安全を確認し、焦りながら車を走らせ、7時半頃、上之保に着くと、言葉で言い表せない光景が広がっていました。

 

 

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

この記事は、私の記憶に留めておくだけではなく、今回の出来事を風化させないために多くの方々に知って頂きたいと思い、書きました。

 

被災された方々にお見舞い申し上げます。

 

一日も早い復旧復興を目指して。

 

がんばろう関市!!

 

がんばろう日本!!

 

記事・写真:関市地域おこし協力隊(上之保地域担当)田中 利弥