青春18切符旅~釜石-気仙沼-福島~
前回のブログで、釜石市を快速 はまゆり号で出会った女性とご実家の方に案内頂いた場所とその場所で感じたことを書きました。
その晩は、ご厚意に甘えて、出会った女性のご実家に宿泊させて頂きましたm(__)m
今回は、朝、釜石市を出発して三陸鉄道や気仙沼線などを乗り継ぎ、気仙沼や、仙台へ行き、最後に常磐線を通り、震災の被害が大きかった地域を中心に18切符で見てきました。
釜石から三陸鉄道に乗り、盛へ
車両が第22回三鉄つばきまつり号でした。
車内全体にツバキの花が装飾されていました。
三鉄の心意気を感じました。
この路線は、震災で甚大な被害を受け、列車走行ができなくなり、今後のことも考え、専用軌道をバスが運行しています。
陸前階上駅から、徒歩で、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館へ。
ここは、震災当日まで宮城県気仙沼市向洋高校に利用されていた建物に伝承館を付け加え、被害のすさまじさを伝える施設です。
剥がれ落ちた天井や、折り重なった車、散らばった教科書…
これらは、8年前まで学び舎だった、という証。
想像を絶する津波の恐ろしさを知ることができました。被災者にとっては辛いと思いますが、伝承館として残して下さっているおかげで、私たちも津波の恐ろしさを目にすることができます。気仙沼市に感謝です。
発車すると、
「この先は放射線濃度が高い帰還困難区域のすぐ近くを通ります。窓を開けることを厳禁といたします」
との旨の放送が入りました。
浪江駅から30分ほどで富岡駅に到着。
バス車内から見える、あちこちにあるシーベルト値を表示する機械や、草が生えてしまった民家や小売店…
確かに8年前まで生活の営みがあったことを強く感じました。
このバスが通る左側に建てられた柵の向こう側は、帰宅困難地域だということ。
道路を挟むか挟まないかで、家に戻れるか戻れないかが決まります。
その状況下でも外で警備している方が見えました。
富岡駅に着く手前には道路を歩く人やお店があり、普通の生活がありました。
被災地に訪問して、新しい建物ばかりの場所や、重機しかない場所、立ち入ることさえ許されない場所…
場所によって状況は様々でした。しかし、確かにここで、たくさんの人の生活の営みがあり、たくさんの想い出が詰まっている地域だということ、を凄く感じました。
東海地区では、ほとんど震災関連のニュースは見かけません。
実際に訪問すると、あちこちで重機を使って道路や土地の整備をしている人、
防波堤の建設をしている様子、
仮設住宅に住んでいる人、
残されたままの廃線となった線路や鉄道施設、
写真の洗浄を行なっている団体が洗浄が終わった写真を持ち主に戻す活動を行なっていること、
放射線量が高く帰宅困難地域があること、など、
まだまだ震災は終わっておわってはいませんが、そこから、前向きに懸命に復興に向けて頑張っている日本人の底力を強く感じました。
18切符旅の行程
◆1日目
岐阜-豊橋-浜松-興津-熱海-東京-上野-亀有-第一日立湯-亀有-柏-友人と合流-土浦-水戸
◆2日目
水戸-(水郡線)-郡山-福島-仙台-小牛田-一ノ関-人身事故のため、六原にて待機-盛岡-
◆3日目
岩手飯岡-盛岡-快速はまゆり-小佐野
震災関連施設等見学
新華園にてもずくラーメン-城山公園-文化センター-等
◆4日目
小佐野-釜石-(三陸鉄道)-盛-(BRT)-気仙沼-(BRT)-陸前階上-
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館-陸前階上-(BRT)-本吉-(BRT)-前谷地-小牛田-長町-
鶴の湯-長町-(仙台市営地下鉄)-仙台
◆5日目
仙台-原ノ町-浪江-(列車代行バス)-富岡-いわき-水戸-土浦-新宿-国府津-熱海-沼津-豊橋-
岐阜